トモヒロと祐介

「レモンスカッシュ」

その扉は突然開かれた。

受付で半ば強制的に頼まされたレモンスカッシュは、まだ運ばれてこない。いつもなら、1曲目の間奏で丁度よくノック音が聞こえる。今日はすでに3曲目に突入している。

曲を選び、その曲を歌う。

ただ、それだけ。たいしたことじゃないこと。対価を払うまでもないこと。部屋に一人。人目を気にしなくていい。音を外してもいい。気持ち悪くてもいい。誤った選曲で場がしらけることもない。

僕の趣味。俗に言う、ヒトカラ。

「ドリンクをお持ち致しました。」

何のためらいもなくドアが開く。店員がマニュアル通りの言葉を告げ、レモンスカッシュを置く。

何度経験しても、この時間だけは耐えがたい。わずか1分もかからないこと。この部屋で誰かと共有する、唯一の時間。客としての自分が見られている。どんな振る舞いが正解だろう。無理矢理作り出される店員の笑顔も後味が悪い。

今日もやはり、ノック音が聞こえた途端、唄うことを放棄してしまったのだった。
昔から、コミュニケーションが苦手だった。相手を深読みして気疲れだけする、ひんやりとした会話。それは音楽の嗜好でも同じだ。流行の音楽を避け、自分の音楽に没頭することは、まわりとの隔絶を意味した。いつの間にかカラオケにも一人で行くようになり、ドリンクを運んでくる店員にさえも重圧感を抱いていた。

しかし、今日はひとつだけ、いつもと違うことがあった。

「この曲、私も好きです。」

そこにいる店員の一言である。サービス精神のある店員なのか、いや気まぐれの言葉か、それとも、馬鹿にでもしているのか。

案外、簡単にその言葉の真意を理解することができた。

彼女は、そのアーティストのリストバンドをしていた。前回ツアーの目玉の物販である。
かく言う自分も、同じロゴの入ったツアーTシャツを着ていた。

お互い自然と笑顔になっていた。
ドリンクが運ばれてくる魔の儀式の最中である感覚は、自分の中から消え去っていったような気がした。

帰り際にふと、さっきの出来事を思い出す。

今度来た時にはまた、結局いつもの自分に戻っているんだろうなあ。
でも、こんなに小さくて些細なコミュニケーションが持つ可能性に気づいたのは初めてだ。

レモンスカッシュの甘酸っぱい香りがまだ口の中に残っていた。

おわり

「祐介」を読んで、感じたこと。

自分の中にある葛藤と向き合いながら、他人との距離を確かめていく。祐介も、決して満足していない現実の中で、自分でも理解に苦戦する胸の中のモヤモヤを抱えながら、日常の中で他者とのコミュニケーションをさまざまな形ではかろうとする。

気持ちと行動。

行動としては一見同じように見えても、その行動を引き起こす気持ちまで辿ってみると、行動の動機となる気持ちは人それぞれである。

「祐介」を読んでみて、正直、私は共感するというよりも、一種の疑問を抱いた。気持ちとしては分かるけれど、この気持ちでこんな行動をするか?自分だったら?

誰でもひとつやふたつ、持っていることだと思う。
周りから理解されないような自分だけの常識、気持ちと行動の法則。

そんな「共感できるようなできないような、日常ののモヤモヤ感」をテーマに今回の課題に取り組みました。

「祐介」
自分とは違う世界観に触れることができました。もしかしたら、この機会がなければ手に取ることがなかったかもしれない。ご縁に感謝です。
文を読み、文を生み出すことで、自分自身についても考えるきっかけとなりました。
ありがとうございました。

上澤 知洋

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