昨年の秋、がんで入院した。
2か月間過ごした病院のベッドの上で思い出していたことがある。
5歳のときのこと。
おばがあわただしく電話をかけている。
病院の中の緑色の公衆電話。
僕は公衆電話の下のスペース、
黄色いタウンページが置いてあるスペースのそのまた下のスペースに、
体育座りですっぽりとはまっていた。
おばの声が震えている。親戚のおじちゃんを呼ぶ。
呼吸を整えて、病院の名前を言っている。
パパは死んじゃう?
兄とともに、父の病室に呼ばれた。朝の9時。
個室のカーテンは、きらきらと白く輝いていて、
大人たちのざわつきのわりに、空気はとても澄んでいる。
母に促されて、父の手を握った。
手が冷たい。暖めようとぎゅっと握る。
でも、自分の手が熱くなるばかり。
時は静まり、
パパは死んじゃった。
母は意識を失い、倒れた。
看護婦さんに別室に連れて行かれた。
僕は、祖母に付き添われて病室の外のソファーで眠った。
お葬式には幼稚園の先生たちも来てくれた。
「お父さんはお星さまになって見守ってくれているよ。」
納得がいかなかった。
星ではなく骨になった父。
涙は出なかった。ただ、怖かった。
それ以来、僕は死に恐怖する子どもになった。
そうして、そのまま大人になった。
『祐介』を読んだ。生(なま)が書いてあった。
生身。生中継。男女の生。
体の中に、スキャンダル記者が入り込んできて、
感覚や感情を暴かれていく。
だから、ちょっと痛い。自嘲で流したくなる。
でも最後に胸ぐらをつかまれる。
「お前はどうなんだよ。」と。
『祐介』は向き合っていた。自分も向き合おう。
部屋の中にピン止めされた目標。
家族にも知られないようにひっそりと隅に止められた、
その紙は,時の流れで色あせていた。
その紙の色に怒りを覚えた。
部屋のど真ん中に,もう一度ピン止めする。
気持ちは色あせずあのときのままだった。
ケリをつけたい過去を見つけた。
僕は、死にケリをつけたい。だから、生きる。
『祐介』がその勇気をくれた。
もっと自分になって,救い出してやるんだ,5歳の僕を。
星 功基